約30年前の話なのですが僕はバイクと交通事故を起こしたことがあります
タイミングが間違えば今この世にはいない、もしくは障がいが残っていたのではないかとおもいます
今回はそんな昔話を語っていこうかなと思います
幼稚園の帰り、じいちゃん・ばあちゃんに会いに行った日だった
その日はとても寒い冬の日でした
母に連れられた5歳の自分、3歳の弟、そしてまだ赤ちゃんの妹の4人でじいちゃん・ばあちゃんの家に行ったんですね
いつものように美味しいお菓子をばあちゃんからもらって、たくさん食べて楽しい時間を過ごしていました
時刻も夕方に差し掛かってきところでそろそろ家へと帰る時間です
母の車はじいちゃんの家を出た道路を挟んだ向かいに停めていたので車に乗るにはもちろん道路を横断しなければなりません
気持ちが高ぶっていた僕は車に向かって走り出しました
そう、道路があることをすっかり忘れて
しかもばあちゃんの家から道路への出口は塀により道路の左右が死角になり全然見えないという状況
次の瞬間
スクーターの左ハンドルが一瞬視界に入ってきたかと思うと
ガンッ!
僕の右目にものすごい衝撃が走りました
ここからの記憶のほとんどがパラパラ漫画のような、写真のような断片的な記憶しかありません
母が僕を抱え、近くの病院に走る姿
血まみれになった母の洋服
近くの病院に行ったはずが傷口を縫う処置をしてもらったのはなぜか違う病院で
その病院ではじいちゃん、ばあちゃん、両親、弟、妹、そしてスクーターを運転していたおばさん
おばさんがうなだれている姿は今でも忘れません
悪いのは1000%僕なんだけども
そして病院で感じたストーブの暖かさと灯油のどこか懐かしいニオイは今でも記憶に残っています
接触したのは右目のわずか上だった
スクーターと接触したとき右目に衝撃が走ったと前述しましたが、実際に負傷したのは右目の少し上、まぶたのあたりでした
ちょうどスクーターのハンドルの高さと幼稚園児の僕の目線がだいたい同じだったのですが
もし当たった場所が
目だったら
頭だったら
首だったら
結果的には急所を外れ後遺症も残ることなく大丈夫だったのですが考えると今でもゾッとしてしまいます
もちろんまぶたを切りもの凄い量の出血だったのでそれはそれは両親には心配かけたみたいですが、、、
当時を振り返ると
事故の表面だけ切り取って見てみると
目を離した母親がいけないんじゃないかとか
スクーターのおばちゃんがスピード出しすぎてたんじゃないのとか
いろいろな問題がありそうなんですが
母は弟、妹に手がかかる、目を離したのはおそらく一瞬(5~10秒?)
スクーターのおばちゃんに関しては急に飛び出されたら避け切れるわけがない(むしろ被害者説あり)
ホントにたくさんの要因が重なって起こってしまったんだと思います
自身に子どもができて分かりますが子どもって気持ちが高ぶってると周りの声なんて入ってこないし、手も繋ぎたがらない
2秒でも目を離すと手の届かないところにいたりする
それが子どもなんですよね
もちろんこの事故に関しては悪いのは1000%僕なんですが(2回目)
今でも右目のまぶたが目に入ると当時のことをよく思い出しますしつくづく生きてて良かったーと思います
最後に
スクーターのおばちゃんに無理やり握らされた1000円
この場を借りてお礼申し上げます!そしてごめんなさい!
おばちゃん、元気かな。。。
おわり
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